フィラリアを陰で操るボルバキア・新しいフィラリア症治療のはなし
昆虫細胞の中に入り込んだボルバキア
Genome Sequence of the Intracellular Bacterium Wolbachiaより引用
ボルバキア、という名前を聞いたことのある方はあまりいないのではないかと思います。獣医師でも知っている人はまだあまり多くないかもしれません。
このボルバキア、実は犬に寄生するフィラリアと深い関係があり、フィラリア症を悪化させる影の支配者だということがわかってきました。そしてその支配の方法があまりにもSF的で興味深いのです。
また、フィラリアとボルバキアの関係が明らかになるにつれ、長いこと変化のなかったフィラリア症の治療に、新たな道も開けてきました。
今回はそんなボルバキアについて、紹介してみたいと思います。
ボルバキアとは
ボルバキアは蚊や蜂、蝶、テントウムシなどの昆虫やフィラリアなどの線虫に寄生する細菌です。一般的な細菌と違って、生きた細胞の中でしか生きられず、自分だけで増殖することができません。自分が増えるには、寄生している生き物の増殖に便乗するしかありません。
そういう性質ゆえの生き残り戦略として、ボルバキアはただ単に寄生するだけでなく、寄生先の生物を、自分の都合の良いように操るおどろくべき能力を持っています。
ボルバキアは寄生生物の卵子に乗って次世代に伝搬するため、寄生生物のメスが増えると、自らも増えることができます。ボルバキアの繁栄は、寄生生物のメスがどれだけ子孫を増やすかにかかっているのです。
このためボルバキアは、次のような戦略をとります
①ボルバキアに感染したオスは死ぬ→役に立たないオスは始末し、メスへの栄養を増やす
②ボルバキアに感染したオスをメスに変えてしまう(性転換)
③ボルバキアに感染したメスを、オスがいなくてもメスだけで生殖できるようにしてしまう(単為生殖)
④ボルバキアに感染したオスと感染していないメスが交尾してできた卵は生育しない(細胞質不和合)
。。。どうですか。この想像の斜め上をいくやり方。あんな小さな細菌が、どうしてこんなことを思いついたのか?進化の神秘ですね。
しかもボルバキアに寄生されたメスは強くなるので、オスが淘汰された世界で、強いメスがどんどん増え、どんどん子供を産んで、ボルバキアと共に繁栄する。。。
まさにSFの世界です。これ、人間で起きたら相当こわいですよね。幸いにして人間にはボルバキアによるこういった事例は確認されていません。女性は強くなりましたが、ボルバキアのせいではないはずです。
犬のフィラリアはボルバキアなしでは生きていけない
さてこのボルバキア、犬のフィラリアには100%感染しているというデータもあります。これだけ高い感染率ということは、フィラリアにとってボルバキアが寄生してくれることは好都合だということです。
抗生物質によってボルバキアを退治されたフィラリアの子虫(ミクロフィラリア)は成長が悪くなったり、成虫の寿命は短くなり、ミクロフィラリアをあまり産まなくなることがわかっています。フィラリアが犬の体内で元気に成長してミクロフィラリアを産めるのは、ボルバキアのバックアップがあってこそなのです。
フィラリアに感染した犬の血液を顕微鏡で見ると、1滴の血の中に数十匹というレベルでミクロフィラリアがうごめいているのが観察できるのですが、あそこまで大量のミクロフィラリアを産むことができるのは、フィラリア単独の力ではなく、ボルバキアの協力があるからに他なりません。ボルバキアにとってミクロフィラリアは、自らを増やし、別の犬へと飛び移るための乗り物なのです。
そしてもうひとつ重要なのは、ボルバキアの表面にあるたんぱくに対して犬は強い炎症を起こすということです。フィラリアがいると肺や腎臓に炎症が起きることが知られていましたが、これは実はフィラリアが原因ではなく、フィラリアの中にいるボルバキアが原因だということがわかってきました。ボルバキアがいなければ、肺や腎臓の炎症も抑えられる可能性があるのです。
このようにボルバキアは、フィラリアによる症状をいろんな面から増悪させます。逆に言うと、ボルバキアがいなければフィラリアは恐れるに足らない、か弱い寄生虫なのかもしれません。
ボルバキア駆除によるフィラリアの新しい治療法
ひとたびフィラリアに感染すると、今までの治療法としては
①ヒ素剤を使って成虫駆除をする
②手術で成虫駆除する
③フィラリア薬を通年長期投与しつつ、フィラリアが寿命で死ぬのを待つ
の3つがありました。①、②はリスクが高いため、よっぽど重症or急性の症状以外は、通常③を選びます。
ボルバキアの研究が進んだことにより、ここに新たな選択肢が加わりました。
④ボルバキアを抗生物質で駆除する
ボルバキアを退治すると、ボルバキアによる肺や腎臓の炎症は抑えられ、フィラリアはあまりミクロフィラリアを産まなくなり、フィラリアの寿命も短くなるのです。実際には③と④を併用した治療がよく行われているようです。
American Heartworm Societyのガイドラインでも、ドキシサイクリンという抗生物質によるボルバキア治療が明記されるようになりました。
まとめ
ボルバキアという微生物の生態を知るにつれ、フィラリア症を悪化させる憎き存在ではあるのですが、その巧みな生き残り戦略には感動すら覚えます。
ボルバキアとフィラリアは、あたかもひとつの生命体として生きているかのようです。私たち自身も、実はもともと別の生命体がよりあつまってできたと考えられており、「わたし」というのは一体どこからどこまでなんだろう?という答えのない疑問に思いをはせたりするのでした。
それはさておき、あまり都市部では見かけなくなったフィラリア症、せっかく出た新しい治療法ですが、使う機会が無ければいいなーと願っています。
フィラリア症の確実な予防法についてはこちら↓
フィラリア薬は1か月間ずっと効いているわけではない・正しいフィラリア予防のしかた
参考にしたサイト
Association of Wolbachia with heartworm disease in cats and dogs